【第15話】肺に穴が開いて内定どころか命の危機に直面した話

こんにちは

こんにちは。初めましての人が多いと思うので軽く自己紹介から始めようと思います。

現在5年情報工学科に所属しております。しこたろうです。

5年生まで全くと言ってもいいほど問題は起こらなかったので、コンテンツ力の欠片も持ち合わせていない僕ですが、そんな僕が5年に進級して間もない時期にとんでもない出来事が起こってしまったのです。正直死んでてもおかしくなかった

 

それでは痩せすぎた男の顛末についての話をしたいと思います。

このブログを読んだ人にBMIが20を下回っている人がいるなら、これからは食べる量を増やして太ることを推奨します。

 

【第一章】 気胸発生

 タイトル回収です。気胸になりました。気胸がどういう症状なのか分からない人のために簡単に説明しておきます。

 

気胸とは

肺の表面に突然小さな風船のような薄い膜が発生して破れた際に、胸腔に空気が漏れ出し、その空気が肺を圧迫することで肺が小さくなること

 

こんな感じです。10代後半から30代前半の若い男性によく起こるらしいんですけど,その一人が僕でした。

 

気胸になる前日の晩、ラーメンを食べに行き、帰りにマクドに寄って駐車場で車をぶつけて親に怒られる...そんな普段通りの休日でした。次の日は学校があるので早めに寝ようと床に就いたのですがその時点で体調が悪くなかなか寝付けませんでした。

 

朝5時ごろ,咳で目が覚めました。

???「あなたの風邪はどこから?」

僕は喉からでした。都合よくベンザブロックが家にあるわけでもなく、水を飲んで寝ました。風邪の咳って基本的に痰のからんだ喉に負担のかかるタイプじゃないですか。そんな咳がずっと出てたのですが、大きい咳をした時に肺のあたりに激痛が走りました。浅い呼吸しかできず、深く呼吸をすると激痛が走る、そんな状態でした。

 

6時になり親が起床してきたので、現状報告して学校を休み、病院にいきたいことを伝えました。しかし、普段から僕が仮病で学校をさぼっているのを知っている親は

「どうせ仮病やろ?ちゃんと支度して行きや。」

と言って仕事に行ってしまいました。完全に信用を失ってますね。

結局8時に近所の病院に開凸しました。レントゲンを撮った結果、左の肺が半分の大きさにしぼんでおり、即救急配送でした。

 

次の章からは、僕が入院していた間に起きた出来事をいくつかピックアップして書いていきたいと思います。

 

【第二章】入院一週目

 

初日 フアン×ト×アンシン

そんなこんなで入院することになりました。

病院に移動してからは、気胸になった際にされる処置(肺に管を通して空気を送り込む機械を装着)を受け、部屋に移動しました。

ちなみに病院で再度レントゲンを撮ったところ、左だけでなく右にも穴が開いていたらしく、もう少し病院に来るのが遅いと潰れた肺が心臓を圧迫して死んでいたか、両肺に穴が開いていたため、呼吸困難に陥って死んでたらしいです。

 

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 ???「知らない天井だ...」

 

学校では新学期早々にクラス内でインフルエンザウイルスが蔓延していたので、担当医の方に僕もインフルエンザにかかっていないか確認したのですが、

担当医「今検査結果確認してきたけど大丈夫!!インフルエンザじゃないから熱引いたら手術して数日後に退院やな!」

と低いテンションの僕に反して、とても高いテンションで対応してくれました。初めての入院で不安そうな僕を励ましてくれたのでしょう。インフルエンザだった場合、一週間個室に移動し、完治してから手術の流れになるため、大幅に入院期間が延びることを知らされていた僕は「入院は一週間弱の我慢だな..」と少し安心した気持ちで就寝することができました。その時の僕は知る由もなかったのです。

 

 

入院期間が一週間どころか二週間を超え、さらには転院することになることを...

 

 

 

二日目 現実はいつも非情

担当医「しこたろうくん..部屋、移動しよっか」

 僕「...え?」

 

 二日目、朝6時に起こされて体温を測ったところ、悪化していたため再度検査してもらった結果、インフルエンザを発症していました。完全に初日にフラグ立ててました。ベッドごと、その階の隅にある個室に移動し、完全に隔離状態にされました。クラスラインをみるとインフルエンザを発症している人が10人を超え、学級閉鎖になった連絡が来ていました。5年生の授業は半期の科目が多いので、学級閉鎖によって合法的な休みが1週間増え、少し安心したのを覚えています。個室に移動してからは完全に見た目は重症患者のそれになっていました。

 ここから二週間、風呂に入ることも身体を洗うこともできなくなったため、地獄の始まりでした。頭皮のかゆみが段々と悪化していくなか身体を洗うことができないストレスにより、髪の毛も心の余裕もすり減っていきました。廃人ですね。

 

二日目からインフルエンザが治るまでの一週間は特に何も起こらず、ネット環境もないので通信容量を消費してスマホで映画を見る日々が続きました。ので、三日目から七日目は端折らせていただきます。

起こったこととしてはトイレ中にノックがしたので返事をして「トイレにいます」といったら看護師さんにトイレを覗かれたくらいです()。

 

【第三章】 入院二週目

八日目 え?今からでも入れる病院があるんですか??

インフルエンザを完治した僕の元に担当医がやってきました。

 

担当医「インフルエンザ治ったし、手術できる病院に転院しよっか」

僕「え?ここでできないんですか?」

担当医「うん」

 

と、いうわけでその時入院していた病院では手術できないらしく違う病院に転院することになりました。天井の写真は撮ってません。

インフルエンザも治ったので、大部屋の端が僕のテリトリーになりました。そこで二日後に手術することと、その時に着る服などの話をしてその日は一旦落ち着きました。

大部屋なので周りの患者の人たちが気になりますよね。4人部屋で僕の正面に患者はいなかったので僕を含めた3人の患者たちがその部屋に在籍していました。まぁ、僕以外の2人は両方おじいちゃんだったんですけど。後々知ったんですけど、僕の転院した大部屋のある病棟は重い病気を抱えている人が入院している棟だったらしいです。

転院してから一つ目の問題がその日の晩に発生しました。

深夜になると聞こえだすうめき声

 僕がうとうとしだした深夜2時頃にその声は聞こえました。

「..テ..ケテ...」

何やらおばあさんの声が隣の部屋から聞こえてきます。

だんだん声が大きくなってはっきりと聞こえるようになってきた時、僕はゾッとしました。

???「助けて~助けて~...なんで誰も来てくれへんの~助けて~」

いや、びっくりするでしょ。僕の病院って精神病院でしたっけ?ってなりましたよ。

ガチで幽霊かと思ってナースコール、しちゃいました。数十秒後に看護師さんが来てくれました。

看護師さん「しこたさん、どうしました~?」

僕「この声って聞こえてます?」

看護師さん「あ~、聞こえてますよ。」

僕「え...人の声ですよね?」

看護師さん「そうですね~、不安になっちゃったおばあさんが夜中になると呻きだすんですよ~。」

僕「そうですか..じゃあ大丈夫です..」

 全然大丈夫じゃないです。なんでおばあさんはナースコールしないのか、仮にしていたとしても、いつも呻くからと何故ナースコールしている患者を放置するのか、疑問が浮かびましたが考えるのはやめました。朝方になるとおばあさんも眠りについたのか声は聞こえなくなっていました。次の日の夜には「助けてくれ」が「殺して」に変わっていたんですけど、まぁ、慣れてしまえば気にすることもないですよね。

慣れってこわいですよね。

 

九日目 大脱走2019

脱走おじいちゃん

 入院生活にも転院先の病院にも慣れ、いつも通り虚無な一日を過ごし、消灯時間である22時になりました。僕は1時頃にいつも寝ていたので、その時間はスマホをいじっていました。23時頃になっていつもよりも早めに眠気が来たので寝る準備をしていると、隣のベットから何かが落ちる音がしました。確認しに行くとおじいちゃんがベットから落ちてそのまま部屋の外に出ていこうとしていたのです。びっくりしてナースコールを押しました。駆け付けた看護師さんが脱走おじいちゃんを発見し、応援の看護師さんを呼んでおじいちゃんの手首をベットに括り付けていました。

ここは精神病院でもなく牢獄だったのか...

看護師さんに話を聞くと今までも数回脱走を試みていたらしく次脱走をしたら括り付けるからと話をしていたそうです。

 

十日目 初めての手術とお嫁にいけない僕

おむつの意味は?

  手術当日です。おむつをセットし、医療ドラマとかで患者が着ているペラペラの服を装着して準備を整えベットごと手術室に運ばれました。馬鹿なので麻酔に耐えようと気合をいれていました。2秒で寝たけど。

目が覚めると集中治療室に居ました。

すごく股間に違和感を感じたのですが、それ以上に喉が渇いていたのを覚えています。目が覚めて数時間後、担当医の方がやってきて部屋に戻っていいと許可を貰えたので、看護師さんたちに点滴などの管を外していただいている時に、股間の違和感の正体を知りました。尿が漏れないように尿道に管が通されていたのです。詳しく知りたい方は”尿道カテーテル”で検索してください。その管も看護師さんの手によって取り外されるのですが、5人の看護師さんが僕の股間をまじまじ見ている時は流石に恥ずかしかったです。そういうプレイじゃないよ。

 

全ての管を外し終えた僕は、再度ベットごと自室に運ばれました。身体を起こそうとすると全身に激痛が走るので起き上がることができない状態でした。起き上がれないと看護師さんに伝えると「トイレの時はこれにしてね」とプラスチック瓶を渡され、ベットの背もたれの角度を変更できるリモコンを身動きの取れない僕の足元に置き、そのままどこかへ行ってしまいました。仕方なく痛みを我慢してリモコンを取ったのでトイレも何とかなりました。まじでありえねえ。身動き取れないって言ってんのにどうやってこの瓶にトイレすんだよ...。

 

十三日目 プリズンブレイク

脱走おじいちゃん2

 手術から三日後の早朝、目が覚めた僕はスマホをいじっていると隣のベットからガタガタと音が聞こえました。寝返りでもうっているのかとそんなに気にしなかったのですが、数分後、看護師さん達が廊下から隣のおじいちゃんの名前を呼ぶ声が聞こえたのです。カーテンを開けて様子を見てみると、おじいちゃんが廊下の方で「帰る」と駄々をこねて這いつくばっているのを看護師さんが3人がかりで抱えようとしている光景がそこにはありました。

 何がすごいかって捕まると分かっていても逃げ出すおじいちゃんの執念と、僕に発見されたことを反省して物音をあまり立てない脱走方法を編み出していたことですよね。脱帽せざるを得ませんでした。

 

【まとめ】

2週間と少しの間、↑で挙げた出来事と邂逅しながらも体調ばっちりで退院させてくれた病院と担当の先生たちには感謝でいっぱいです。

 

病院では色々ありましたが、やはり

健康が一番。

この一言に尽きます。

 気胸とは縁の無い人が多いとは思いますが、主にこのブログを読むことになるであろう高専生の方々には、長身やせ型方が多いと思います。この条件に当てはまる人は気胸になってもおかしくないので、少しでも標準体型になる努力をしていただければ幸いです。僕を反面教師に頑張ってください。

 

アドベントカレンダーの企画として初めて文章を書いたので拙い部分も多々あったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。